こんにちは。茶場白スタッフのさとうです。
突然ですが、皆さんは『茶の本』をご存じですか?
欧米でかつてベストセラーになった『The Book of Tea(茶の本)』は、1906年にニューヨークの出版社から刊行されました。
そんな100年以上も前に書かれた『茶の本』を、現在、茶場白で働く自分が読んだらどう感じるのか…そんな想いのもと、この連載に踏み切りました。
『茶の本』を読んだことがある方もない方も、気軽に楽しんでいただければ幸いです!

今年3月に発売された新訳版。読みやすく、現代美術家・会田誠の解説も魅力的です!
第一席 『茶の本』って、どんな本?
「岡倉天心の『茶の本』を読んでみよう。」
そう思ったきっかけは、「藝大式美術の“ミカタ”ーこの夏、藝大生になるー」展における「岡倉天心『茶の本』を読む」をテーマにした展示との出会いでした。
そこでは、近代日本美術の発展に貢献した岡倉天心が、『茶の本』を通して日本の美術や文化をどのように解釈し、紹介したのか、様々な日本美術の作品を鑑賞しながらその奥深さに触れる構成になっており、
「お茶の本なのに、日本美術や文化の話につながるんだ。」
と、興味を持ちました。

東京藝術大学大学美術館にて開催された「藝大式美術の“ミカタ”ーこの夏、藝大生になるー」展
岡倉天心って何者?
ところで、「岡倉天心」という名前を聞いたことはあるでしょうか。
1863年に生まれた岡倉天心(おかくら・てんしん)は、明治時代に美術教育や美術行政に携わり、日本の近代美術の発展に大きな役割を果たした人物です。東京美術学校、現在の東京藝術大学の前身の創設にも深く関わっています。
当時、明治維新を経て大きく変わろうとしていた日本では、西洋の制度や技術を取り入れ、「近代化」を進めていく一方で、日本に昔からある文化や美術の価値が、必ずしも十分に見直されていたわけではありませんでした。
そんな時代に、岡倉天心は日本の精神、文化、美術の価値を見つめ直し、それを海外にも伝えようとしました。
『茶の本』も、そんな活動のひとつだったのです。
『茶の本』が書かれたのは、明治時代
岡倉天心自身が英語で執筆した『茶の本』は、明治39年に出版されました。
日露戦争を経て、欧米から日本への関心が高まっていた時代。そんな背景を胸に読み進めると、岡倉天心が日本の文化に対して抱いていた誇りが、言葉の端々から伝わってくるように感じます。
「私たちの芸術と理想とに正当なる敬意が払われる時代が訪れるのを待ちたいと思う。」
岡倉天心『茶の本』(訳:田内万里夫、解説:会田誠)、株式会社トゥーヴァージンズ、2026/3/27 、11~12頁
日本をはじめとした東洋文明の本質を、西洋の人々に伝えるために。
その入り口として、選ばれたのが「茶」だったのです。

なぜ「お茶」?
言うまでもなく『茶の本』は名著だが、さらに言えば、ぎゅっと詰まった小さな宝石箱のような本である。
岡倉天心『茶の本』(訳:田内万里夫、解説:会田誠)、株式会社トゥーヴァージンズ、2026/3/27
会田誠「新しい人へー天心と『茶の本』が夢見たもの」146頁
現代美術家・会田誠は、『茶の本』を「小さな宝石箱」と表現しました。
「茶」という文化の中には、日本人が大切にしてきた美意識や、暮らし方、人と人との関係、自然との向き合い方など、さまざまなものが含まれています。
だからこそ、「茶」を入り口にすれば、日本という国の文化そのものを伝えることができる。
そんな発想が『茶の本』には感じられます。
実際に本を読んでみると、禅について語り、美術を愛で、建築について考え、花について語るなど…一杯のお茶から、どんどん世界が広がっていきます。そのひとつひとつがまさに宝石のように輝き、私たちに新たな発見を与えてくれます。

この連載で伝えたいこと
100年以上も前に書かれた本と聞くと、「なんだか難しそう……」と思われるかもしれません。正直に言うと、私も最初は少し構えました。
しかし、実際に読んでみると、ところどころに、
「これ、今の自分にもある感覚だな。」
と思える瞬間があります。
たとえば、
お湯を沸かしてお茶を飲むこと。
誰かと一緒にお茶を飲むこと。
お気に入りの茶碗を使うこと。
季節の花を飾ること。
そういう自分にとって何気ない日々の中に、天心が『茶の本』で語ったことが確かに存在していると思いました。
この連載では、一冊の『茶の本』を一席ずつ味わうように読んでいきます。
その言葉を読んで感じたことや、茶場白で働く中で思ったことを交えながら書いていきたいと思っています。
皆さんの、それぞれの経験や記憶を重ねながら読んでもらえたら嬉しいです。
では、また次の席でお会いしましょう。

一冊の本を、一度に読み切るのではなく。一服のお茶をいただくように。
気軽に読んでいただけたら嬉しいです!